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穏やかな日

もーいーくつねーるーと4年生

自分を客観的に見るのをやめた

嫌われる勇気とやらが流行っているけどそんな哲学的なもんじゃありません。でもこの言葉もこの本に似たようなこと書いてあってそれが自分のなかで改編された気がする。

そもそも、自分を客観的に見るのは履歴書書くときだけで十分なんだよ。自分を客観的に見る=他人からどう思われているか考えるってことじゃないの?客観的の意味間違ってたら恥ずかしい。ただ言い方がスマートになっただけっすよ。
そんな私は、常に自分を冷静に見ていた。その結果、つまらない人間と化したのだ。熱くなることをやめ、悲しむこともやめ、起伏のない状態がいいと思っていた。というか、異常に黒歴史とやらになることを恐れてた。中二病ならぬ高二病中二病みたいな黒歴史が出来ないよう心掛けていた。自分でも嫌になるくらいどうでもいいことで後悔したり心配する性なもんで、とにかく安定した人間関係が欲しかったんでしょう。
そのせいで、すごく人の目が気になっては、落ち込んでの繰り返しで疲れた。話してる相手によって全然ちがう接し方で、それは見下しているとかそういうことではないけど、その人に合わせたしゃべり方になっちゃうから人によって自分の印象が全く違って。かなり仲良くなってようやく基本の自分に戻る感じで。(そもそも基本の自分がお調子者だから嫌になってこうなったのだと思うけど)
なので、仲良くなるまで嫌われないように努めるのが疲れる。ようは良い子ぶる。でもそれじゃぁそれじゃぁ、それ以上の汗臭い友情は生まれないんですよ。お調子者時代は相手のことなどお構いなしに絡みまくってたからクラスの派手な子とも地味な子とも仲良くなれていた気がする。
で、そうすると、グループとか集団行動になるとどの自分で振る舞えばいいのか分からずもっと疲れる。疲れるの積み重なって関係すら持とうとしなくなる悪循環っ。

で、もうやめた。そうです。嫌われてもいいのです。ピーマンが嫌いなくらいに、嫌いな人もいるでしょ?自分もその人にとってピーマンと同等の存在であるというだけなのです。とういうか、そんなに万人から嫌われるわけではないのでいいんです。死ぬ直前にあの人に嫌われたことを思い出すことなんてないだろうし。

だらだら書いたけれど、ようはレリゴーだよ、レリゴー。ありのままでいいんです。

まぁ、それが出来ないから悩むんですけどね!!


自分を客観的に見て反省することやーめた。この性格はもうやめられないんだし。己を貫いている人にこそ人が寄ってくるみたいな名言をどこかで見たな。私が合わせるのではなく世界が私に合わせるのだ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

私は私を振り返らない!!アースミュージックエコロジーのCMで宮崎あおいが言いそうなセリフですな。